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【サッカー/Jリーグ】ストイコビッチ名古屋の軌跡と功罪・・・幸せだった“妖精”との6年間

2013.12.14.Sat.14:55
1:

ストイコビッチ名古屋の軌跡と功罪 幸せだった“妖精”との6年間
今井雄一朗 2013年12月13日 11:16
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/2013/columndtl/201312130001-spnavi

名古屋での監督6年間を終え、日本を去るストイコビッチ。その軌跡と功罪は?【写真:アフロ】
http://sports.yimg.jp/im_siggbKwyvs8ciWi7qxwnyOUiGg---x490-y490/text/images/spnavi/20131213/201312130001-spnavi_2013121300001_view.jpg
ピクシーが名古屋にもたらした最大のものは勝者のメンタリティーである【写真は共同】
http://sports.yimg.jp/text/images/spnavi/20131213/201312130001-spnavi_2013121300002_view.jpg

監督6シーズンで103勝59敗42分

 4年間の栄華と、凋落の2年間。妖精とともに見た夢から、ついに覚めた。名古屋がドラガン・ストイコビッチ監督とともに歩んだ
6シーズンが終わり、クラブは新たな歴史のページをめくり始めようとしている。

 6年の月日は長いようで短く、短いようで長い。短く感じるのはそれだけ充実していたということであり、6年という時間そのものが
決して短いわけではないから長くも感じるのだ。選手もクラブもサポーターも、名古屋に関わる全ての人間にとっての2008年から
2013年という期間は駆け抜けるように過ぎていった。ストイコビッチ監督が名古屋で為してきたことは功罪相半ば。愛すべきピクシー
が日本を去った今、改めてその軌跡と功罪を振り返ってみる。

 まず監督としての成績は、総じて見れば素晴らしい成績だったといえる。名古屋から監督のキャリアをスタートさせた新人指揮官は、
デビューとなる08年でいきなりリーグ3位という好成績をマーク。最終節まで優勝の可能性を残してのこの順位は、褒められるべきものだ。

 続く09年はリーグ戦では9位に留まったが、初参戦のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)でこのシーズンの日本勢最高となるベスト4
進出を果たし、天皇杯も決勝に進出。シンプルかつスピーディー、そしてサイドを活用するスタイルで猛威をふるったチームはこの2年間
で確固たる土台を築き上げ、次なるステップへ移行する。

(続きは>>2-10


2:

          /⌒ヽ
   ⊂二二二( ^ω^)二⊃
        |    /       ブーン
         ( ヽノ
         ノ>ノ
     三  レレ


3:

 10年、田中マルクス闘莉王と金崎夢生を補強した名古屋は攻守にすさまじい強さを見せつけ、1シーズン制移行後最速となる31節で
クラブ史上初の栄冠を勝ち取った。年間獲得勝点は史上最多タイとなる72ポイント。首位を奪った18節以降その座を一度も譲ることなく、
ただの一度も連敗することのない記録的な優勝だった。この年のJリーグアウォーズはまさしく名古屋のもので、ベストイレブンに5名が
選出、楢崎正剛がMVPとなり、そしてストイコビッチ監督も最優秀監督に選ばれている。

 翌11年はリーグ2位に終わるも、勝点71を獲得したチームはリーグ史に残る“最強の2位”である。11年のチームこそ6年間で最強
だったと言う選手は多い。12年、13年の2年はやや低迷したが、6シーズン計で103勝59敗42分は高く評価していい数字だ。


解任動議が起こることなく、サポーターから愛されていた

 かつてアーセン・ベンゲル監督が率いた“第一次黄金期”のエースが監督として帰還したことを、そして就任後の力強いチーム作りを、
サポーターも全力で支援した。08年の就任以来、チームにブーイングが浴びせられることはあっても、監督にその矛先が向かったこと
はない。13年6月には低迷する現状を受け、クラブフロントがサポーター向けの説明会を行ったが、チーム成績低迷の責任をまず問わ
れるであろう監督に対する解任動議が起こる雰囲気すらなかったほどだ。

 それはもちろんこれまでの成績に対するリスペクトの現れでもあったわけだが、ほかの監督ではここまでの愛情を注がれることは
なかっただろう。リーグ最終節の翌日に行われた街中でのトークショーにはサポーター800人が詰めかけ、離日の際も空港には
100人のサポーターが平日の朝から駆けつけた。ストイコビッチ監督とサポーターの関係は、常に良好だった。


4:

若手に合わなかったトレーニングスタイル

 だが、選手と指揮官の関係がこの6年間常に良好であったかといえば、そうとは言い切れない。その推移は、上昇期の4年間と下降期
の2年間で大きく様相を変える。

 以前のコラム(5月24日掲載)でも書いたが、ストイコビッチ監督のトレーニングはサッカーのスタイル同様に効率を重視したもので、
1週間の過ごし方はほぼルーティン化されていた。しかもその主眼はコンディショニングに置かれており、シーズン中に試合並みの強い
負荷がかかる練習はほぼ行われない。リーグ屈指のタレントをそろえる陣容は08年のスタート時から20代中盤以上の年齢の選手を
中心に構成されており、11年までの4年間は体力的にも“貯金”が豊富だったため走り負けることも少なかった。

 しかしほぼ主力の入れ替えなしで迎えた5年目からは徐々にスタミナ面で陰りが見え始め、13年には走り負ける試合も散見される
ように。また練習内容に戦術的要素が少ないことに物足りなさを感じる選手たちも出始め、経験の少ない若手は内容、負荷ともに不足
する事態に陥っていた。最初は「この練習は頭をすごく使うので、時間が短くても疲れますね」と言っていても、話を進めると「今は90分
走れるか不安です」という意見が出てくる。

 主力を固定する傾向も強く、「正直、アピールできているかがわからない」という声もあった。若手のミスに対する懲罰のような交代や
起用もいただけない。若手こそミスには目をつぶり、チャレンジの中で成長をうながさなければならないのにだ。選手の気持ちが理解
できる稀代のモチベーターとして、完成された選手たちを率いてきた男は、彼らを中心としたチーム作りをするあまりに若手との溝を
生んでしまっていたことは否めない。

 実際のところ、成績が下降し始めた12年から、溝は顕在化し始めていた。トレーニングの件にしても、楢崎などは最初、「トレーニング
が軽いといっても、俺が若手の頃は先輩たちを見て学んだもの。こういう状況でもできることはある」と若手の奮起をうながしていたが、
ここ2年は練習内容への物足りなさを口にするようにもなっていた。


5:

 背番号10を受け継いだ小川佳純も恩人といえるストイコビッチ監督への敬意は持っていたものの、練習の内容や起用法については
半ば諦めの心境で構えていた。試合当日にならないとどのメンバーで何をするかは本当にはわからない、という風に。指揮官の「彼ら
ならできる」という強烈な信頼は、諸刃の剣となって6年間の明暗を生んだ。名古屋の選手たちは100%の体調でプレーすれば、試合
の中で対応し、どんな相手にも負けない。そういった信頼と自負が、時に無策にも見える戦い方の要因にもなった。

“ストイコビッチのサッカー”=“奇襲のサッカー”

 そうした戦術的な面から“ストイコビッチのサッカー”を考えると、“奇襲のサッカー”と言い換えることもできた。もちろんサイド攻撃と
ゾーンディフェンスという大きな柱があったわけだが、その運用法においては奇襲という言葉がふさわしい。

 1年目はサイドチェンジが大きな効力を発揮した。セオリーで言えば、ボールの位置とは逆サイドの選手は中央よりのポジションを
取ることが多い。しかしストイコビッチ監督は両サイドの選手を常にタッチラインいっぱいに張らせ、サイドチェンジのパスをフリーで
受けられるように細工した。「サイドチェンジするだけでこんなに局面が変わるなんて」とは当時の選手たちからよく聞かれた言葉だ。

 2年目は負傷者などの影響もあり3バックの併用や、シーズン途中の補強などで様々な戦い方を試した。そして10年は4?3?3を
基本布陣に据え、過去2年の相手の研究を無効化した。11年は10年のチームをブラッシュアップすることで強さを維持できた。しかし
3バックの導入に失敗した12年と13年は、布陣を元に戻しても相手に研究されつくした感があり、上手く行けば勝つ、という不安定さ
を露呈することになった。

 局面を打開するための采配といえば、サイドハーフにFWの選手を入れるなど攻撃の選手を増やしたり、高さを生かしたパワープレー
を指示したりといった程度だったことを思えば、奇襲によるアドバンテージの大きさは結果を見るに明らかだ。特に初期のストイコビッチ
監督からは「得点を奪うためにFWの選手を増やしましたが、得点は奪えませんでした」というコメントをよく聞いた。


6:

ピクシーがもたらしたものは勝者のメンタリティー

 それでも、彼がクラブに初のリーグタイトルをもたらした“名将”であることは揺るがない事実でもある。この6年間で最高のパフォーマンス
を見せた2010年と2011年のチームは、Jリーグ史上に照らし合わせても屈指の強豪だった。各ポジションにリーグ屈指のスペシャリストを
配置し、彼らが補完し合うことで大きな力を生んだ。そのまとまりを演出したのはほかでもないストイコビッチ監督である。元スター選手なら
ではのゲームビジョンと練習時の“実演”で自らの発言の説得力を増し、田中マルクス闘莉王という強烈な個性もそれを上回るカリスマで
自らの統治下においた。

「俺、ミスターが人間としても好きだからね」とは闘莉王の言だ。闘莉王だけではない。田中隼磨はチームを去る直前、「俺も5年間、よく
我慢したよ。闘莉王とみんなの間に入ったり、戦術を守って自分らしさを抑えたり」と告白している。また前体制ではくすぶっていた玉田圭司
の才能を誰よりも買い、厚い信頼で再生をうながした。
「最初に『お前がJリーグでナンバーワンの選手だ。エースになれ』と、あれだけの世界的な選手が言ってくれた。自信になったし、ついて
いこうって気持ちになった」と玉田は期待に応え、10年の優勝を決めるゴールをはじめ、頼れるエースとなった。あのチームを作れたのは、
ストイコビッチ以外にはありえなかった。

 そして監督・ストイコビッチの最大の功績はといえば、名古屋に勝利を習慣づけたことに尽きる。「ミスターは僕らに高い精度を求める。
それが結果につながったし、意識を変えてくれた」(中村直志)。この6年間で選手たちは勝つことが当然のことになり、上位を争うことが
常識と考えるようになっていた。
「僕らはこんな位置にいるチームじゃない」と、この2年間で何度聞いたかわからない。それは思い上がりでも虚勢でもなく、勝者のメン
タリティーが根付いた何よりの証拠だ。「次は勝てるだろうか」と思っている集団では勝てる試合も落としてしまう。あくまで強気に、最後
まで勝利を追い求める姿は、「ネバーギブアップ」が口癖の指揮官の精神そのものである。


7:

 今季の最終節後の最後のミーティングでも、ストイコビッチ監督は最後の言葉に「ネバーギブアップの精神を忘れないでくれ」を選び、
離日の際にも同じことを選手たちへ贈る言葉とした。

“ピクシー”は名将だったのか。それはイエスでもありノーでもある。成績は文句なし。しかし戦術的な采配と若手の育成においては特筆
すべきものは残せていない。次を引き継ぐ監督に優れた人材を残せてはいないかもしれないが、彼らは少なくとも勝者のメンタリティーは
持っている。一朝一夕には為しえない仕事は完遂した上で、ストイコビッチは次代へバトンを渡したとも言えるだろう。


「この6年間でみなさんを幸せにできたと思う」

 最後にストイコビッチ監督といえば思い出されるのが、名古屋と日本に対する溢れんばかりの愛情だ。例えば前述のトークショーの後に
「今はほっとした気持ちもあるか?」と聞くと、想像以上の“日本愛”を表現してくれた。

「自分にプレッシャーをかけたことはありませんが、08年に名古屋に戻ってきて、いつかは終わる時が来るとは思っていました。しかし名古屋
を率いるプロの監督としては納得できても、個人としては耐えられないこともあります。名古屋は本当に私にとって特別な場所ですし、心の中で
気持ちはどうしても動いてしまう。私はこれからヨーロッパに帰りますが、今の気持ちは日本から休暇で出かけていくという感覚です。それが
正しいかはわかりませんが、そういう気持ちなんです」

 ストイコビッチ監督はとにかく愛し、愛された指揮官だった。雨の試合で傘をさしてピッチサイドに立ってしまうのは彼ぐらいだ。ほかの監督なら
、「選手は雨の中でプレーしているのに、傘を指して指示を出すとは」といらぬ批判を受けるかもしれない。しかし、彼なら許される。「この6年間
でみなさんを幸せにできたと思う」という台詞に誇張はない。われわれは勝利を信じながら結果に一喜一憂していた。それは実にワクワクする
毎日だった。そう、“妖精”との6年間は、確かに幸せだった。

<了>


8:

来年から、長良川の天然鮎の生育数がグッと増える


9:

ホモだけどなあ


10:

日本食大好きなんだよな
納豆も大好きだけど、それ以上に梅干しが大好きなんだよな
鮎の塩焼きも大好物


11:

何がすごいってあの革靴直接ゴールだろ


12:

自分で走り込めばええやん
ロードワークに補強運動
ムエタイ選手なんか毎日やってるぞ


13:

本気で長い


14:

プレーヤーとしては尊敬できるけど監督してはダメだった、ジーコには成れなかった


22:

>>14
ジーコこそ監督としてダメだったと思うがなあ。
代表監督とクラブ監督の違いはあれど
(ジーコはクラブでは代行があったに過ぎず比較はできない)


15:

育成が下手ってこと?


25:

>>15
天才であるが故に基準未満のへたくそを伸ばす方法が分からないのでは無いかな
まあ、体調管理が主な練習メニューっていうのが事実なら、完成された選手を使うのはうまいのだろう


16:

毎日20kmくらい走れば
当たり負けないぞ


17:

リーグ優勝してもダメってw


18:

6年も文章も長すぎ


19:

サッカーライターってなんで無駄に文章が長いんだ


20:

他サポからも愛された監督だった、お疲れ様


21:

いい監督だった


23:

幸せの90%くらいは食だろう


24:

もしこの人がJのボトムハーフのチームの監督になったら面白いんだけどなぁ。

例えば大宮。
あそこは勝者のメンタリティが足りない。
やはり選手が自信をもつのは大切だと思う。


58:

>>24
大宮?無理だろ

練習がきつい、指示がわからん、むずかしいという理由だけでやる気なくして選手一同だけでなく
フロントまで一致団結して監督を追放するチームだぜ

各マスコミだけでなくほとんどの大宮サポですら「無敗から一転して連敗してるとはいえ、(大宮に
とっては珍しくもなんともない)たかが5連敗でクビってフロントも選手も気が狂ったか?」と衝撃受
けた解任劇だったんだから


26:

こんな世界的選手が六年も日本にいた事が凄い


27:

代打オレが出来たらもっと強かった


28:

ザックの次?


29:

代表監督向きなの?


30:



38:

>>30
やっぱ歳とっても上手い人は上手いんだな
ジーコも足元上手かったバラエティーで


31:

選手としては偉大だが、はっきり言って監督としては糞だったわ

選手の力で勝たせてもらってた監督であり、戦術的要素に乏しく修正能力も無かった


32:

何か詳しく書かれすぎて気恥ずかしいぜ


33:

・来日した年、さして補強もできなかったチームを躍進させた
・玉田、闘莉王とくせのある選手をまとめて優勝に導いた
・今季も中断明けは素晴らしいサッカーをしてた

でも、すぐつまらんサッカーになっちゃうんだよな
基本選手に甘すぎる
玉田をもっと厳しく指導してリーダーに育てられてたら
去年も今年ももっとマシな成績上げてたと思う
前線であんなタラタラ歩いたり転がったりしてたら後ろの選手だって
真面目に走るのが馬鹿らしくなる


34:

怪我人続出でも勝てる監督はミスターしかいなかったわ。名古屋が守りきった時は感動した


35:

一応この人は白人だけど、出身国はタイ以下の三流国
でもアジアにやってきて白人と言うだけで上から目線だった
当初の選手時代もやる気も見られず太り気味だった
舐めきって遊び気分だったのだろう
ところがベンゲルが監督として名古屋に来ると知ったら態度豹変
アジアを格下に見てる典型的な白人の姿だった


46:

>>35
それ、ブルザノビッチっていう外人のことだろ?


36:

日本に通算13年住んでたことになる
外国に10年以上住むなんて考えられんわ


37:

読む気にならない誰か3行で


44:

>>37

納豆
好き


39:

選手時代のピクシーは大好きだったけど、監督としてのピクシーはあまり好きじゃなかったなー


40:

ミスターがダメとか。名古屋がどれだけお荷物だったかわかってない。ベンゲルとときは酷かった。343の戦い方もしらんかったらしい。


41:

グランパスの次期監督は西野さんらしいけど、個人的にはドゥンガが良かった
生ぬるい体質を変えられる厳しい指導者が必要なんだよ


43:

>>41
ドゥンガはやっぱ磐田でしょ まあ、2部の監督するとも思えないが


42:

ピクシーの好きなもの
 ・鮎
 ・納豆
 ・ソープ

FC岐阜ちゃんに来てくれ


45:

>>42
ただのリップサービスだよ
お前だって格下の国に行ったら、その国の食べ物を美味い美味いとアピールして
その国の人に媚を売って好かれようとするだろ
それだけのことだよ


52:

>>45
ピクシーを知らなさすぎ


61:

>>52
納豆や鮎のスレでも必ずこういう卑屈な人がいるよ。
アンチなんだろうが自国を卑下してどうするんだと思うわ。


63:

>>61
鮎好きは異常と思ってたら、故郷が夏のキャンプに使ってる岐阜古川に似てて
川魚を食べる習慣があったようだ


60:

>>45
最初は舐めきってて1年足らずの腰掛のつもりで来たことは本人も本に書いてるが、そこから日本と日本人が大好きになって、本気を出してこんなに長くいてくれたんだからいいだろ?
ベンゲルがどうとかは、関係ないだろ?


67:

>>60
最初年俸めっちゃ安かったしなw


47:

サカ豚は低能なんだから3行ぐらいでまとめてやれよw


48:

プクシーお疲れさま!


49:

選手としても監督としてもレジェンドになれた人だった
リフティングドリブルとか革靴ゴールとか名古屋初優勝とか審判にイエローカードとか


50:

今や貢献度としてはジーコ超えたかもな
日本のサッカー発展に貢献した外人トップ3に入る
ジーコ、ストイコビッチ、ラモス
ラモスの所は批判されそうだからドゥンガ、マルキーニョスでもいいか
アマラオも


55:

>>50
ジーコは代表で失敗したから評価下がった面はあるな

でも、ピクシーの最後の方の指揮も相当お粗末あったぞ
もし、ピクシーが代表監督だったら間違いなく叩かれてるわ


51:

このスレの勢いのなさがすべてを物語ってるw


53:

ベンチ前からのゴールは秀逸w


54:

納豆食べたい(´・ω・`)


56:

お前ら、ターボ君との異名をとったピッタって選手知らんだろ?
エリベウトンが来る少し前だ


57:

リップサービスであれだけ食わねぇだろw


59:

リップサービスで海外で合宿していたときに「納豆が無い」と文句言わないだろ


62:

ピクシーはモチベーターで、ヘッドコーチが有能だったんだろ?


64:

ファーガソンみたいなタイプだな。
ベンゲルの元で勉強したはずなのに。


65:

誰も優勝させられなかったチームを優勝させた。

これだけで十分だ。


ただ6年は長過ぎたよね。ピクシーのキャリアにとっても。


66:

Jリーグができたばっかの頃リネカーと英国人の監督がいた時はピクシーは日本が嫌いなのか名古屋が嫌いなのか
サインを求めたらグルグルのUFOみたいなサインを書いてくれたよw
ベンゲルになってからやる気出したよね
三越で見かけた時もすっごくカッコよかったし日進グランドが練習場だった頃は毎週見に行って楽しかったな~


69:

>>66
クズっすなーw


68:

選手の頃は半端ねーイケメンだったな。
選手としても監督しても一流だったと思う。


70:

闘莉王をコントロールできたんだから、優秀な監督と言っても過言じゃないわな


71:

良い記事だなと思って読んだのに長い長い言われてかわいそう
四年で去ってたらもっと絶賛されてたよなあ


72:

勝者???


73:

十分貢献してくれたよ
一番好きな選手で監督だった
ピクシーの未来に栄光あれ


74:

スレはサッパリ伸びない
ストイコビッチが嫌われてるってことだろうねw


75:

4年目までは新人監督としちゃ賞賛に値する出来でしょう
終わりの二年はそのツケみたいなもんだ


76:

あの名古屋を優勝させたってのは名将でしょう


77:

6年ほぼ主力入れ替わりなしだろ
交代やむなしだわな


78:

功罪だからこのコラム通りなんじゃない?
リーグ優勝もして上位争いもして103勝と勝利することにかけては
一定の結果は出せたけど
若手育成や戦術の積み重ね等チームの底上げ、
発展できなかった点でマイナス
悪くはないけど手放しで絶賛するほども良くないみたいな

後にJ2から即優勝の柏のネルとか
あの広島を2連覇させたポイチとか出てきたから
名古屋を優勝させたインパクトは薄くなった感じ

初年度に優勝するか11年に連覇できたら
もっとインパクトは大きかったかもな


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